2011年7月6日水曜日

じしょのおはなし

東京への出張とか、急なお友達の訪問などですっかりブログとご無沙汰していました。

今日は、フランス語学習に関して、「じしょ」の話をしたいと思います。

じしょ、と言われて皆さんは「辞書」と思うでしょうか、「字書」と思うでしょうか、それとも「辞典」と言い換えるでしょうか。実際は似たようなものなんです。辞書でも字書でも同じこと、単語を単位として、西洋語ならアルファベット順に、日本語ならアイウエオ順(昔はイロハ)に、その意味を解説する書物のこと。辞典・事典は、事物や事象や概念を単位として、その頭の音を同じようにアルファベットとか五十音順に並べて、それぞれにいろんな解説をつけること。西洋語では、言葉の辞書(あるいは字書)はDictionnary(仏Dictionnaire)、事象の辞典(あるいは事典)はEncyclopedia(仏Encyclopédie)と言い分けますね。ものすごくおおざっぱな分類ですが...まあ、基本的な分類です。

しかし、「じしょ」に関して大事なのは、定義ではなくて、それぞれの人がこの言葉を聞いてどういう媒体を思い出すか、なんだと思います。

今は「電子じしょ」なるものが到来して、これが非常に集客率が高いので、初級の学生さんたちは将来、「じしょ」という言葉を聞いて、カシオとかシャープとかのロゴが入った平たい金属の箱を思い出すのか、それともiPhoneのちらちらする画面に目を凝らしながら、指先でつついていたことを思い出すのかな、と考えてます。

私は電子の辞書とか事典を使ったことは、今まで一度もありません。最近はどれほど保守的な年配の先生でも、「やっぱり電子辞書は必須!特に欧州に出張のときとか、数カ国語の単語がすぐに調べられるし」と言います。私も外国で暮らしたときは、平均五カ国語で会話することが当たり前でしたけど、電子機器が身近にあったことは一度もありませんでした。(大体、人生最初の携帯電話を持ったのだって、2006年のことなんです。)インターナショナルな友情に随分と囲まれている今でも、使うことはありません。一生ないかどうかは分かりませんが、おそらく今年も来年も手に取ることはないでしょう。

なので、ここでは電子じしょの話は全くできません。何百円から何万円という種類があるそうで、音声つきとか、20カ国語対応とか、例文付きとか、お姉さんが画面に出て文法説明してくれるとか(これはないか)、まあとにかく広汎なヴァラエティーがあるそうですが、ここではそういう機械のご紹介はできません。なんせ、何一つ知らないものですから。

私はじしょと聞いて、紙の辞書を思い出します。事典と聞くと、50巻本くらいの大版の、これも紙の本の群れを思い出します。20年以上つきあっているからです。フランス語の辞書は、最初に新刊で買った「大修館新スタンダード佛和辞典」が

http://www.amazon.co.jp/新スタンダード仏和辞典-朝倉-季雄/dp/4469051233

一年で表紙も取れ、ペラペラの頁の装丁が分解し、最初はセロテープで、次にガムテープで修復しまくって、最後は包帯だらけの姿になって、本体のオレンジ色さえも分からなくなってしまった様子を思い出します。その10年前に使った英日辞書は、これも相当な状態になって、甘やかされた中学生だった私は修復など考えず、満身創痍の姿になった本を残酷にも捨ててしまいました。しかし、今でも、そうした辞書のことは思い出すのです。

フランス文学科では、90年代半ば、白水社の「プチ・ロワイヤル仏和辞典」が数十年ぶりに増補改訂されて刊行されたことが話題になり、ロワイヤルを使わないとフランス語は学べない、みたいなことが言われてました。

http://www.amazon.co.jp/プチ・ロワイヤル仏和辞典-倉方-秀憲/dp/401075303X


しかし、私は自分のスタンダード佛和辞典とロワイヤルは全く価値同等である、という深い確信を抱いていました。なぜでしょうか。

それは、フランス語の中級に入り(3年目くらいですかね)、私は仏和辞典を使うのをやめ、仏仏辞典(フランス語話者の国語辞典ですね)を使うようになったからです。

使ったのは、Petit Larousse illustréという、プチとある割に縦横20×30センチ、奥行き6センチあまり、おそらく数キロはある、両手で抱えても長くは持って歩けない、大版の一冊です。

http://www.amazon.co.jp/Petit-Larousse-Illustre-2004-Dictionary/dp/2035302048

ラルース(と読みます)辞典を何年にもわたって引いているうち、ロワイヤルもスタンダードも、あるいは日本語の現代フランス語の辞書はすべて、ここからの訳出であることが判明したのです。ロワイヤル辞典の改訂に参加した先生方が、90年代新進気鋭の言語学者や文学者たちで(私の教わった先生たちの中にも随分と)、彼らが個人的に読んだ文学書から例文を引いているのが、ロワイヤル改訂版の売りだったのでしょうが、スタンダードにはもっと大事なものがあったように感じます。

それは、昭和10年代から20年代のフランス語・文学を教えていた日本の先生たちの、ラルース・エンサイクロペディアとも呼べそうな大版の辞書を丹念に訳した、その我慢強さとか意志とかいうものです。さらには、スタンダード佛和が戦後の新しい語学教育の道具として現れるまでに生まれた、明治から大正までのフランス語を聞いたこともないのに辞書一冊訳した人々への想いというものです。

ラルース仏仏辞書(典)から実際は始まった私のフランス語とフランス語の歴史の勉強は、その後、フランス19世紀の辞書(典)、18世紀の辞書(典)、17世紀の辞書(典)、15世紀・16世紀の辞書(典)、そして中近世フランス語の仏仏辞書(典)に遡り、さらには、最近増えてきた「ヨーロッパ多言語辞典」なんかにも広がり、そして時々は有効な「分野別専門用語辞典」を使うようになりました。不思議なことに、知識が増え、理解力が増すほど、私の人生では、アルファベットの辞書世界と日本語で書かれた外国語辞書の世界は、すっかり二つに分かれてしまいました。

辞書を作る人たちは、きっと、こうした経緯を踏んだのち、ある日、日本語でフランス語の説明を始めたのだと思います。

紙の辞書を使っていると、いつの間にか作った人たちのことを考えてしまいますよ。

電子辞書もいいでしょうけども。多分、私は使わないでしょうね。

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