2011年7月14日木曜日

革命記念日の写真

タイトルの写真を変えました。パリ10区にアトリエとお店を構えているノルウェイ人照明家のお友達ヘンリックが、昨日の革命記念日(Quatorze-Juillet)を葉書にした写真を送ってくれました。

革命記念日は、1789年7月14日に、パリの群衆とフランス衛兵隊がバスティーユ牢獄を奇襲して、司令官ドローネー以下その場にいた高官の首を取った事件を記念する祝日です(本当に首を取ったんです、つまり断頭して、槍の上に彼らの首を植え付けた群衆がパリ中を練り歩いた訳です)。ここから1792年の国民公会にいたるフランスの共和国化(革命)が始まりました。

フランス最大の国民の祝日と言えましょう。毎年7月14日には、大統領が見守る中、軍隊がシャンゼリゼから凱旋門広場まで行進し、その様子が正午のテレビで放送されます。この日、この時間、このテレビ中継にかじりついていないフランスの家庭はおそらくないのではないか、と思います。

国民の関心を総動員するという意味では、日本の元旦、アメリカの建国記念日、イギリスのガイ・フォークス(これは違うかな)レベルの祝日です。

一体いつから革命を記念するようになったのでしょうか。バスティーユ襲撃の翌年、1790年にはすでに記念式典が行われていますが、国家行事となったのは多分、県制が敷かれて、パリ市庁舎が再編されて、教会が財産を没収されて...という、つまり新しい市民国家の土台が完成した1794年頃からではないだろうか、と思われます。

その後、フランスにはナポレオンを執政官と仰ぐ執政政府、そして帝国が生まれ、ナポレオン失脚の1814年には、フランス国民はまたしても王政に舞い戻ります。1830年には折衷主義の擬似立憲王政が誕生し、1848年から1852年は社会主義者たちが共和制を取り戻します、1852年から1871年までは、ナポレオンの甥、ルイ・ナポレオンが第二帝政を敷き、フランスの内外政治は混迷を極めます。やっと、革命で樹立した共和制が持続的に戻るのは、1871年の第三共和制からです。このときから2011年の今日まで、フランスは「共和国」です。

このように、19世紀を通してフランスの名称と政治形態は何度も変わりましたが、細かく歴史を読んでいくと、1789年の市民社会の原則は、この間も崩れることはありませんでした。

だから、1789年の革命が、象徴的にも、情緒的にも、現代のフランスの起源だと思われているのでしょう。

ところで、歴史的「起源」は面白い問題です。国家の起源をどこに定めるかで、そうした国家に属する個人は、自分と帰属集団の運命についての考え方を変えるからです。

日本の「起源」は、様々です。明治維新なのか、紀元元年なのか、保元の乱なのか(京都には本気でそう考えている人も)、1945年8月15日なのか、かなりバラバラですよね。一番確かな「国民の祝日」が、結局元旦やお盆という、民族の歴史ではなく古来からの祖先信仰と季節の変転に基づいた日である、という事実は、作ってきた、あるいは作っていくべき歴史という歴史観ではなく、作られてきた歴史、あるいは人間の歴史はもともとそこにあったもの、という歴史観を示しているようにも思います。

フランスで、革命の「記憶」が今日でも国民全員を鼓舞する様は、強く民族の心性の違いを見せてくれるように思います。

2011年7月13日水曜日

レポートを書くための十ヶ条

さて、与えられた主題について、形式・内容ともに説得力のある、まとまった長い文章を作るには、どうすればいいか、以下に十条で申し上げます。

一、      内容→形式の順に作ります。人によっては、形さえ整えば内容はついてくるという意見もありますが(日本の初等教育はその考えによって実行されていますが)、それでは全員が画一的な内容になるのは目に見えています。
二、      内容の練り上げにも段階があります。まず、浮かんだ考え(印象と言ってもいいです)をすべて書き出しましょう。それから、その考えに序列をつけましょう。具体的で瑣末な考えから、一般的で抽象的な考えへ、という風に。
三、      次に、先の考えとは別に、題を聞いて心に浮かぶ疑問や疑いを書き出しましょう。
四、      そして、そうした印象と疑問を概観し、自分が最も言いたいことは何か、を探り出しましょう。これは、皆さん自身の経験や知識、感覚や信念、などの中に曖昧な形で現れては消える「気持ち」を「立場」に言い換える仕事です。この立場の表明が、レポートの骨子となります。ここからが本当の始まりです。
五、      自分の立場を補強、あるいは反証する例を、十以上探しましょう。日常生活、映画やテレビ、文学作品、新聞記事、雑誌広告などから、引用を見つけましょう。
六、      そうした例を分析しましょう。反証となる例に関しては、議論を行いましょう。
七、      ここまでできたら、形式の練り上げに入ります。まず、全体を三章に分けましょう。先ほど抽出した考えや疑問点を順序よく配置し、全体が一貫して発展していく思考の流れを表現するような構成を生み出しましょう。自分自身の考えと疑問に沿って議論を進めていれば、一貫性は自ずと生まれます。そこに三つの「段階」あるいは「フェーズ」ないしは「側面」を分ければいいのです。各章にはできるだけ、サブタイトルをつけましょう。
八、      一番いいたいことを中心に結論を先に書き、次にその結論にいたるための道筋として、第一章、第二章、第三章と書きます。最後に序文を書きます。全体を原稿用紙十枚で書くならば、結論と序文がそれぞれ原稿用紙一枚、各章は二枚半から三枚と見積もります。もし、全体を原稿用紙五枚で書くつもりならば、上記枚数をすべて半分にします。つまり、序文と結論それぞれ半枚、各章一枚から一枚半。
九、      細かい文体や形をチェックします。新たに段落を始めるときは、必ず最初の一マス空けます。章を変える時は一行空けます。雑誌や映画や本のタイトルは『』で引用し、誰かの言葉を引用するときは「」で引用します。誰かの名前を引くときは、できるだけ生没年を()に入れて書き添えます。「です・ます」と「である」の文体を混同しないようにしましょう。「〜と思いました」、「〜はよかったです」などの表現は使わず、「〜ではないだろうか」、「〜と言えるかもしれない」といった表現を使いましょう。自分の意見と他人の意見ははっきりと分けて書きましょう。憶測と事実ははっきりと分けて認識しましょう。そしてもちろん、漢字は間違えないでください。
十、      タイトルをつけましょう。名前を書きましょう。


追記。大事なのは、他の誰のものでもない、自分自身の考えと立場にそった議論を展開することです。自分の立場を明らかにし、他人を説得するために、すべてのレポートはあるのです。

2011年7月6日水曜日

じしょのおはなし

東京への出張とか、急なお友達の訪問などですっかりブログとご無沙汰していました。

今日は、フランス語学習に関して、「じしょ」の話をしたいと思います。

じしょ、と言われて皆さんは「辞書」と思うでしょうか、「字書」と思うでしょうか、それとも「辞典」と言い換えるでしょうか。実際は似たようなものなんです。辞書でも字書でも同じこと、単語を単位として、西洋語ならアルファベット順に、日本語ならアイウエオ順(昔はイロハ)に、その意味を解説する書物のこと。辞典・事典は、事物や事象や概念を単位として、その頭の音を同じようにアルファベットとか五十音順に並べて、それぞれにいろんな解説をつけること。西洋語では、言葉の辞書(あるいは字書)はDictionnary(仏Dictionnaire)、事象の辞典(あるいは事典)はEncyclopedia(仏Encyclopédie)と言い分けますね。ものすごくおおざっぱな分類ですが...まあ、基本的な分類です。

しかし、「じしょ」に関して大事なのは、定義ではなくて、それぞれの人がこの言葉を聞いてどういう媒体を思い出すか、なんだと思います。

今は「電子じしょ」なるものが到来して、これが非常に集客率が高いので、初級の学生さんたちは将来、「じしょ」という言葉を聞いて、カシオとかシャープとかのロゴが入った平たい金属の箱を思い出すのか、それともiPhoneのちらちらする画面に目を凝らしながら、指先でつついていたことを思い出すのかな、と考えてます。

私は電子の辞書とか事典を使ったことは、今まで一度もありません。最近はどれほど保守的な年配の先生でも、「やっぱり電子辞書は必須!特に欧州に出張のときとか、数カ国語の単語がすぐに調べられるし」と言います。私も外国で暮らしたときは、平均五カ国語で会話することが当たり前でしたけど、電子機器が身近にあったことは一度もありませんでした。(大体、人生最初の携帯電話を持ったのだって、2006年のことなんです。)インターナショナルな友情に随分と囲まれている今でも、使うことはありません。一生ないかどうかは分かりませんが、おそらく今年も来年も手に取ることはないでしょう。

なので、ここでは電子じしょの話は全くできません。何百円から何万円という種類があるそうで、音声つきとか、20カ国語対応とか、例文付きとか、お姉さんが画面に出て文法説明してくれるとか(これはないか)、まあとにかく広汎なヴァラエティーがあるそうですが、ここではそういう機械のご紹介はできません。なんせ、何一つ知らないものですから。

私はじしょと聞いて、紙の辞書を思い出します。事典と聞くと、50巻本くらいの大版の、これも紙の本の群れを思い出します。20年以上つきあっているからです。フランス語の辞書は、最初に新刊で買った「大修館新スタンダード佛和辞典」が

http://www.amazon.co.jp/新スタンダード仏和辞典-朝倉-季雄/dp/4469051233

一年で表紙も取れ、ペラペラの頁の装丁が分解し、最初はセロテープで、次にガムテープで修復しまくって、最後は包帯だらけの姿になって、本体のオレンジ色さえも分からなくなってしまった様子を思い出します。その10年前に使った英日辞書は、これも相当な状態になって、甘やかされた中学生だった私は修復など考えず、満身創痍の姿になった本を残酷にも捨ててしまいました。しかし、今でも、そうした辞書のことは思い出すのです。

フランス文学科では、90年代半ば、白水社の「プチ・ロワイヤル仏和辞典」が数十年ぶりに増補改訂されて刊行されたことが話題になり、ロワイヤルを使わないとフランス語は学べない、みたいなことが言われてました。

http://www.amazon.co.jp/プチ・ロワイヤル仏和辞典-倉方-秀憲/dp/401075303X


しかし、私は自分のスタンダード佛和辞典とロワイヤルは全く価値同等である、という深い確信を抱いていました。なぜでしょうか。

それは、フランス語の中級に入り(3年目くらいですかね)、私は仏和辞典を使うのをやめ、仏仏辞典(フランス語話者の国語辞典ですね)を使うようになったからです。

使ったのは、Petit Larousse illustréという、プチとある割に縦横20×30センチ、奥行き6センチあまり、おそらく数キロはある、両手で抱えても長くは持って歩けない、大版の一冊です。

http://www.amazon.co.jp/Petit-Larousse-Illustre-2004-Dictionary/dp/2035302048

ラルース(と読みます)辞典を何年にもわたって引いているうち、ロワイヤルもスタンダードも、あるいは日本語の現代フランス語の辞書はすべて、ここからの訳出であることが判明したのです。ロワイヤル辞典の改訂に参加した先生方が、90年代新進気鋭の言語学者や文学者たちで(私の教わった先生たちの中にも随分と)、彼らが個人的に読んだ文学書から例文を引いているのが、ロワイヤル改訂版の売りだったのでしょうが、スタンダードにはもっと大事なものがあったように感じます。

それは、昭和10年代から20年代のフランス語・文学を教えていた日本の先生たちの、ラルース・エンサイクロペディアとも呼べそうな大版の辞書を丹念に訳した、その我慢強さとか意志とかいうものです。さらには、スタンダード佛和が戦後の新しい語学教育の道具として現れるまでに生まれた、明治から大正までのフランス語を聞いたこともないのに辞書一冊訳した人々への想いというものです。

ラルース仏仏辞書(典)から実際は始まった私のフランス語とフランス語の歴史の勉強は、その後、フランス19世紀の辞書(典)、18世紀の辞書(典)、17世紀の辞書(典)、15世紀・16世紀の辞書(典)、そして中近世フランス語の仏仏辞書(典)に遡り、さらには、最近増えてきた「ヨーロッパ多言語辞典」なんかにも広がり、そして時々は有効な「分野別専門用語辞典」を使うようになりました。不思議なことに、知識が増え、理解力が増すほど、私の人生では、アルファベットの辞書世界と日本語で書かれた外国語辞書の世界は、すっかり二つに分かれてしまいました。

辞書を作る人たちは、きっと、こうした経緯を踏んだのち、ある日、日本語でフランス語の説明を始めたのだと思います。

紙の辞書を使っていると、いつの間にか作った人たちのことを考えてしまいますよ。

電子辞書もいいでしょうけども。多分、私は使わないでしょうね。